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センター概要

尾州織物産地を中心とした繊維関連年表

昭和初期(昭和20年)までの歴史

青色文字は文末「用語」説明あり)

年代 尾州産地の動き
弥生時代 遺跡より発掘された土器の底部平面につけられた布目から痕跡のみで糸質不詳だが、極めて撚りが強く相当に均質な麻織物が使われていたらしい。
天平6年
(734)
正倉院に現存の尾張国正税帳で、当時既に綾及び錦などの絹織物を盛んに織られていた。
天平13年
(741)
国分寺(中島郡明治村矢合)の古瓦に残る痕跡から瓦製造に使われる麻織物が当時当地で織られていたようだ(経緯共綿番手8番程で経緯22×20本/in)
天平年間 尾張国税帳に綾錦のほか特に絞りがあり、鳴海絞り、有松絞りの起源をなしたことがわかる。
承和2年(835) 年料貢賦の練糸の従来色糸であったのを減らして生糸の貢進を命じたと「続日本後紀」にある
元慶6年
(882)
綾一疋の代わりとして、生絹二疋を貢進できたと「三代実録」にある。これにより当時、綾は生絹の約2倍の価値があった。
室町時代 「尾張細美(さいみ)」(細布(さいみ))と呼ばれて極めて細く紡いで織った麻布を生産していたようだ。
天文11年
(1542)
木綿が琉球から薩摩へ移り、内地に伝播し、徳川時代には盛んになった。
江戸時代
(藩政時代)
戦国時代以来、木綿は実用向きとして絹布を凌駕していった。
寛文4年
(1664)
幕府は国内織物の寸尺を定めた。(絹紬一反:長3丈4尺、幅1尺4寸、布木綿一反:長さ同じ、幅1尺3寸但し曲尺)
(元禄期)
(1668頃)
俳人其角がうたったように、吉例街道の起町線で、対岸の正木村から起町付近一帯に桑園で、いわゆる起絹、割田絹などが盛んに織り出されていた。藩政時代の尾張平野では麦作の後に生綿(きわた)が作られ、秋祭りの頃は見渡す限り綿の白で溢れ、住家と納屋も生綿の山となった。
(明和期)
(1764頃)
尾張の国産品として桟留縞等が盛んに東西市場へ搬出し名声を博し始めた。
(天保期)
(1842)
尾張国産品の内織物類に桟留縞、結城縞、繰綿蛹糸、絹、かぴ丹、糸類、羽二重が挙げられ、生産されていた。
明治4年
(1871)
従来同様、結城、桟留の類を盛んに織りだし、絹絣も織出された。
〃 5年
(1872)
輸入糸を正藍で染めた双子縞、または東京双子と呼び売り出され、明治15~頃に当地方一帯を風靡した。
〃 9年
〃17年
(1884)
官営千住製絨所が開設
綿織物の生産量は大阪に次いで全国二位。
〃18年 中島郡一円を区域とする「中島郡織物組合」が結成される。
〃24年
10月28日
濃尾大地震(綿花の栽培困難となる一方安価なインド綿の輸入が拡大し、農家の副業では対抗できず尾西地方の綿織物業は衰微し明治30年頃にはどん底へ)
〃25年 この頃、筧直八(中島郡)が経綿/緯毛の交織織物製造、あるいは酒井理一郎らが輸入毛糸で着尺セルを試織
〃31年 片岡春吉(津島町)がモスリン製造を試みた。整理技術未熟で商品化ならず。
〃33年 「愛知県中島郡織物同業組合」認可。(現尾西毛織工業協同組合)
〃34年 春吉はドイツ製セルを模してセルの製織に着手。11月の第五回愛知県品評会に小中柄着尺セルを出品し銅賞牌を受賞。そして、自らドイツに染色整理機一式と 四幅織機を注文し毛織物の研究と利用に当たった。(現片岡毛織㈱) 愛知県立工業学校(現愛知工業高校)創立。初代校長柴田才一郎が欧州留学での毛織物知 識により機業家を啓発指導した。
〃38年 「愛知県尾西織物同業組合」設立。
〃41年 墨清太郎がドイツ製整理機を据え整理工場を開業。(現艶金興業の始まり)
〃45年 木全角次郎ドイツに四幅織機5台注文、以降毛織物への生産体制の確立へ。
大正3年
(1914)
第一次世界大戦勃発し、毛織物輸入は全く途絶える。国産品愛用とともに尾州が全国的セルの特産地として名声を博す。こうして綿・絹織物から毛織物への転換が成立していった。
〃4年 起町立染織学校(現県立起工業高校)開設。
着尺セルで躍進した尾州産地は、大正中期以降、ラシャセルジス等洋服用梳毛織物の製織へも進出。
〃5年 四幅織機の輸入も途絶え、平岩鉄工場(現・碧南市・平岩鉄工所)が、ジョージホジソン式機を見本として、国産四幅織機の第一号機完成、試職結果良好で設置機業増加。
大正末期 紺サージの製織が盛んになり、ついでラシャ類の製織も興隆し、尾州地域の毛織物業は綿・絹を圧して主流となった。
昭和2年 三河染織試験場開設(現、あいち産業科学技術総合センター・三河繊維技術センター)
〃5年
(1930)
尾張染織試験場設置(現、あいち産業科学技術総合センター・尾張繊維技術センター)
〃 6年 愛知県毛織物検査開始。尾西毛織工業組合設立。日本で初めてステープル・ファイバー生産される。
〃 7年 尾州毛織、津島毛織工業組合設立。大日本毛織工業組合連合会(毛工連)結成。
〃 9年 尾西染色工業組合設立。
〃10年 愛知毛織物整理工業組合設立。
〃11年 日本羊毛輸出、輸入統制協会創立、結成。
〃17年
(1942)

羊毛統制会、絹・人絹統制会、綿・スフ統制会設立。繊維製品統制協議会設立。

■古い時代から近代(大正時代)までの尾張地域の繊維産業について、次の文献等より引用並びに参考にしました。

参考・引用文献
・「尾西織物史」(昭和14年(1939)尾西織物協同組合刊(平成3年(1991)11月20日復刊))
・「片岡毛織創業九十年史」(昭和63年(1988)2月片岡毛織(株)発行)
・「墨敏夫-知と技の軌跡100年」(平成元年(1989)10月艶金興業(株)発行)
・「毛織のメッカ尾州-尾西毛織工業90年のあゆみ-」(平成4年(1992)3月尾西毛織工業協同組合発行
・「日本毛織百年史」(平成9年(1997)6月日本毛織(株)発行)

用語説明(五十音順)
用語 解説
かぴ丹(かぴたん) 長崎出島のオランダ商館長・カピタンが取り寄せた南方系の木綿の縞織物のこと。現在は経に染め糸、緯に白糸を織り込んだ朧地(おぼろじ)の織物をいう。
砧打ち(きぬたうち) 織り上げた織物を木槌などで打ち、柔らかさと光沢を出す作業で、古くから絹や麻布の仕上げに行われてきた。
生綿(きわた) 精錬してない綿。
繰綿(くりわた) 綿繰車を用いて綿花から種子を取り除いたもので、まだ精製していない綿の繊維。白色と淡褐色のものと二種類がある。
細美(さいみ) 経緯ともに大麻の太い手紡糸を用い、平織りにした織り目の粗い麻布。江戸時代に夏の衣料に用いられた。
蛹糸(さなぎいと) 繭を繰って残った繭の最も内部の薄い層のものから紡いだ糸
桟留縞(さんとめじま) 木綿縞織物の一つ。室町末期から江戸時代にかけて輸入された舶来品で、江戸時代に広く流行した縞物の原型となった。インドのサントメ港から運ばれてきたの でこの名がある。細い手紡糸を用い、表面は滑らかで光沢があり、絹に似る。色調は紺、浅黄、茶などの地に、赤や黄の細い縦縞を配したものが主で、多彩な縞 柄は当初、木綿の珍しさも加わって、たいそう珍重された。各地で桟留縞の模写した織りが行われてからは、舶来ものを「唐桟留(略して唐桟(とうざん))」 と呼び区別した。のちには国産のものも唐桟と称するようになった。
セル 毛糸を用いて織った和服用織物。縞や格子、霜降りなどの柄が多い。その感触が柔らかいことから、戦前までは男女ともに着尺、羽織、袴地などに広く愛用されていた。セルという語は毛織物の「サージ」から転訛した「セルジス」が日本語化したもの。
セルジス 「セル」の項参照。
羽二重(はぶたえ) 絹織物の一つ。経緯ともに無撚の生糸などを用い、主に平織りにした後練り織物。糸質の良いものが用いられるために光沢があり、肌触りも良い。
双子縞(ふたこじま) 縞柄の名。二子持ちともいう。太縞の両側に細縞を一本ずつ配した縞柄である。
モスリン 梳毛織物の一つ。細い梳毛糸を平織にした柔らかい薄地の毛織物。わが国では幕末頃から輸入し、メリンスまたは唐縮緬などと称された。国産のモスリンが盛ん に作られるようになったのは明治末期のことである。白地に織り上げ、色無地、捺染、友禅染めなどをし、着尺や襦袢、帯、裏地、布団地など広く用いられる。
洋糸 輸入された糸。
ラシャ 紡毛織物の一つ。経緯ともに紡毛糸を用い、起毛した地合の厚い織物。明治10年頃からわが国でも織り出されるようになった。

■用語については、次の文献等より引用並びに参考にしました。

参考・引用文献
・「染織辞典」(中江克己編:昭和62年(1987)泰流社発行)